南風原陸軍病院を語る上で欠かせないのが、学徒動員されたひめゆり学徒隊(沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒222名・引率教師18名)および従軍看護婦たちの存在です。まだ10代半ばの少女たちが担わされた任務は、想像を絶する過酷さでした。
当時の沖縄陸軍病院の看護婦・学徒の手記や証言記録には、壕内の生々しい実態が克明に刻まれています。
「壕の中は照明用の油の煙と、傷口から流れる膿、排泄物、そして死臭が充満し、目を開けて息をするだけで精一杯でした。麻酔薬も尽き、手足の切断手術は意識のある兵士を数人がかりで押さえつけ、ノコギリで行われました。切断された手足を布に包み、夜陰に乗じて砲弾が飛び交う外へ埋めに行くのが私たちの日常業務でした」(元学徒・関係者の証言より)
壕内には蛆(ウジ)が湧き、重傷者の傷口からピンセットで何百匹も取り除く作業が繰り返されました。水汲みや飯炊きのために壕外へ出れば、容赦のない米軍の砲撃によって命を落とす学徒が相次ぎました。南風原での任務は、少女たちから青春を奪っただけでなく、人間としての尊厳すら極限まで脅かすものだったのです。