王政復古の大号令とは?大政奉還との違いと小御所会議の真相を徹底解説

王政復古の大号令とは?大政奉還との違いと小御所会議の真相を徹底解説

王政復古の大号令とは?大政奉還との違いと小御所会議の真相を徹底解説の具体的な内容に迫る! わかりやすい言葉でご紹介しています。

歴史学習やビジネスの教養において最も混同されやすいのが、「大政奉還」と「王政復古の大号令」の違いです。両者はわずか2ヶ月足らずの間に起きた連続する出来事ですが、主導権の所在、目的、徳川家の処遇において正反対の性質を持っています。

大政奉還が「徳川慶喜による政権維持のための先手」であったのに対し、王政復古の大号令は「倒幕派による徳川完全排除のための反撃(カウンタークーデター)」でした。両者の本質的な違いを構造的に比較すると、以下のようになります。

比較項目大政奉還(1867年10月)王政復古の大号令(1867年12月)編集部の構造分析・評価主導者徳川慶喜(第15代将軍)岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通(倒幕派)守勢に回った旧権力者と、新興実力者による主導権の奪い合い政治体制の構想諸侯会議制(徳川家が議長として実質主導)天皇親政・三職体制(総裁・議定・参与)幕藩体制の温存か、中央集権国家への完全刷新かの分水嶺徳川家の地位・財政内大臣職を維持、天領約400万石を全額保持官位の剥奪と領地返上(辞官納地)の要求慶喜を単なる「一大名(いちだいみょう)」に引きずり下ろす経済的無力化決定のプロセス将軍による朝廷への合法的上奏と勅許軍事封鎖下における非合法クーデターと密室会議手続きの正当性よりも軍事的既成事実を優先した権力奪取

王政復古の大号令において、従来の官位体系が全面的に解体され、新たな統治機構として「三職の設置(総裁・議定・参与)」が定められました。最高職の「総裁」には有栖川宮熾仁親王が就任し、「議定」には皇族・公卿に加え徳川親藩・有力大名(松平春嶽や山内容堂など)が選ばれました。そして実務を担う「参与」に西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允ら薩長の実力派藩士が抜擢されたことで、身分制度の壁を打ち破る近代国家の執行部が誕生したのです。

池田 達也
著者

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。