歴史学習やビジネスの教養において最も混同されやすいのが、「大政奉還」と「王政復古の大号令」の違いです。両者はわずか2ヶ月足らずの間に起きた連続する出来事ですが、主導権の所在、目的、徳川家の処遇において正反対の性質を持っています。
大政奉還が「徳川慶喜による政権維持のための先手」であったのに対し、王政復古の大号令は「倒幕派による徳川完全排除のための反撃(カウンタークーデター)」でした。両者の本質的な違いを構造的に比較すると、以下のようになります。
王政復古の大号令において、従来の官位体系が全面的に解体され、新たな統治機構として「三職の設置(総裁・議定・参与)」が定められました。最高職の「総裁」には有栖川宮熾仁親王が就任し、「議定」には皇族・公卿に加え徳川親藩・有力大名(松平春嶽や山内容堂など)が選ばれました。そして実務を担う「参与」に西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允ら薩長の実力派藩士が抜擢されたことで、身分制度の壁を打ち破る近代国家の執行部が誕生したのです。