映画『もののけ姫』の制作が進められていた1990年代半ば、すでにドラマやCMで清純派女優としての確固たる地位を築いていた石田ゆり子氏は、当時27歳でスタジオジブリの門を叩きました。
当時の制作ドキュメンタリーや鈴木敏夫プロデューサーの手記によると、宮崎駿監督はサンのキャスティングにあたり「技術的に完成された声優の芝居ではなく、世俗に染まっていない無垢さと、生きるための凄絶な怒りを併せ持つ生の声」を強く求めていました。オーディションで石田氏の凛とした佇まいと声の奥にある芯の強さに触れた宮崎監督は、即座に彼女の抜擢を決断したと記録されています。
しかし、アフレコ現場は過酷を極めました。普段の映像芝居とは異なり、身体の動きを封じられた状態で声だけで獣の気迫を表現しなければならない重圧に対し、宮崎監督からは「もっと喉を潰すつもりで叫んでくれ」「綺麗に喋ろうとしないでほしい」といった厳しい要求が連日飛び交いました。石田氏は当時のインタビューで「自分の殻をすべて壊されるような日々で、スタジオで涙を堪えながらマイクに向かった」と述懐しており、極限状態から絞り出された叫びが、あのサンの野生美を結実させたのです。