ディズニー音楽の金字塔であるこの曲の正式名称は『It's a Small World (After All)』です。タイトルの末尾に添えられた「(After All)=結局のところ、やっぱり」という短い言葉にこそ、作品の根幹をなす思想が凝縮されています。
時計の針を1960年代初頭へと戻してみましょう。当時、世界は米国とソビエト連邦による冷戦の真っ只中にあり、1962年10月には世界中を震撼させた「キューバ危機」が勃発しました。全面核戦争の一歩手前まで人類が追い詰められたこの緊迫した時代に、1964年開催のニューヨーク世界博覧会に向けたプロジェクトが始動します。ユニセフ(国連児童基金)の理念に賛同した飲料大手ペプシコ社からの依頼を受け、ウォルト・ディズニーがパビリオン制作を指揮することになったのです。
当初、ウォルトは各国の民族衣装を着た子供の人形たちに、それぞれの国の国歌を歌わせる演出を構想していました。しかし、現場で各国のメロディを一斉に流すと、音が重なり合って耳障りな不協和音(カコフォニー)になってしまうという技術的課題に直面します。そこでウォルトは、映画『メリー・ポピンズ』などの劇中歌を手がけていた専属作曲家チーム、ロバート・B・シャーマンとリチャード・M・シャーマンの「シャーマン兄弟」を呼び寄せ、「すべての子どもたちが一つになって歌える、シンプルで普遍的な単一の楽曲」の制作を命じました。
当時の特番インタビューや回顧録において、弟のリチャード・シャーマンは「キューバ危機の恐怖がまだ生々しく残る中、私たちは互いに憎み合うのではなく、地球という小さな星で共に生きる兄弟姉妹なのだという祈りを曲に託した」と証言しています。最初に兄弟がウォルトへ披露したデモ音源は、祈りを捧げるようなスローテンポの重厚なバラード調でした。それを聴いたウォルトは即座に「素晴らしい。だが、もっと陽気に、子供たちが元気にスキップして歌えるテンポにしてほしい」とリクエストしたと伝えられています。こうして、現在私たちが耳にする軽快なテンポでありながら、芯に深い慈愛と平和への祈りを宿した不朽の名曲が誕生しました。