「ドリフの早口言葉」が日本のラップ史において極めて重要な位置を占める理由は、その歌詞構造と「フロウ(節回し)」の完成度にあります。西洋のブラックミュージックが持つシンコペーション(アクセントの移動)と、日本語の持つモーラ(拍)の特性を、志村けんさんと加藤茶さんのコンビネーションが見事に調和させました。
楽曲の進行は、志村さんの「いーってみよーっ!」という軽快なコール&レスポンスから幕を開けます。続いて展開される歌詞には、日本古来の言葉遊びが隙間なく敷き詰められていました。
「生麦 生米 生卵」「東京特許許可局局長」「坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた」「新人歌手新春シャンソンショー」「赤パジャマ 青パジャマ 黄パジャマ」――誰もが知るこれらの古典的フレーズが、ドラムのハイハットが刻む16ビートの隙間に正確に叩き込まれます。メロディを持たず、リズミカルに韻を踏みながら滑らかに発声していくスタイルは、まさにヒップホップそのものです。
日本のポピュラー音楽界において、ラップの商業的先駆としては1984年の吉幾三『俺ら東京さ行ぐだ』や、1986年のいとうせいこう『建設的』が挙げられます。しかし、それに先駆けること4年前の1980年に、全国ネットのゴールデンタイムでファンクのビートに乗せた日本語フロウを披露していた事実こそ、「元祖日本語ラップ」と呼ばれる所以です。スチャダラパーや宇多丸(ライムスター)といった後進のトップラッパーたちも、幼少期にドリフの早口言葉からラップの基礎的快感を受け取ったことを公言しています。