病魔の影が忍び寄ったのは、突然のことではありませんでした。中島美嘉が耳の明らかな異変を感じ始めたのは、活動休止の数年前、2005年頃からだったと後の手記やメディア取材で語られています。
最初は「少し耳がおかしい」程度の違和感でしたが、年を追うごとに症状は重症化。ステージ上で伴奏の音が聴き取れず、自分の出している声の音量がわからないため、喉を張り裂けんばかりに酷使して歌う悪循環に陥っていきました。耳鼻科を何軒も渡り歩くものの決定的な治療法は見つからず、耳管に生理食塩水を注入する対症療法などを施しながら、だましだましステージに立ち続けたといいます。
限界を迎えたのが、2010年10月でした。デビュー10周年の節目を祝う記念すべき日本武道館4days公演、大阪城ホール公演を目前に控え、リハーサルすら成立しないほど聴覚のコントロールを喪失。苦渋の決断として公演の中止と、無期限の音楽活動休止が発表されました。当時の公式コメントで彼女は「満足のいく歌が歌えない」と断腸の思いを吐露しています。
直後に単身ニューヨークへ渡り、世界的権威と呼ばれる医師の診察を受けましたが、そこで下された宣告は「これ以上、治療法はない。完治は極めて難しい」という冷徹な言葉でした。人気音楽紀行番組『アナザースカイ』に出演した際、彼女は当時の様子を振り返り、現地の公園のベンチで朝まで一人涙を流し続け、「もう歌えないかもしれない」という底知れぬ絶望の底に突き落とされたと赤裸々に語っています。