1989年のC-C-B解散後、笠浩二はソロ活動や新たなバンドプロジェクトを展開しますが、過酷な芸能生活のツケが徐々に身体を蝕んでいきました。20代前半の過密スケジュール、連日のプレッシャー、不規則な食生活や過度の飲酒が重なり、30代を迎える頃には深刻な健康危機に直面します。
1999年末、笠は十二指腸潰瘍、痛風、脚気、糖尿病を併発し、一時は歩行すら困難な状態に陥りました。体重は急激に落ち、精神的にも極限状態に追い込まれる中、療養の地として選んだのが熊本県阿蘇郡南阿蘇村(旧白水村)でした。
南阿蘇村は、笠の母親の故郷であり、豊かな自然と名水で知られる地です。都会のスピード感から完全に身を引き、阿蘇の大自然に囲まれた古民家で生活を始めた笠は、自ら畑を耕して野菜を育て、規則正しい生活を取り戻していきました。生前のインタビューにおいて笠は、「南阿蘇の水と土、地元の人々の温かさが、壊れかけていた自分の命を繋ぎ止めてくれた」と深く感謝の言葉を述べています。
私生活においては、熊本で一般女性の妻と静かな家庭を築き、家族の献身的な支えを受けながら生活基盤を安定させました。プライベートを過度に公表することは控えていたものの、地元テレビ局の番組出演や地域イベントでの演奏など、南阿蘇にしっかりと根を下ろした活動を展開。地域住民からも「気さくで温かい笠さん」として深く愛されていました。