『虎に翼』モデル三淵嘉子の生涯と史実の差|再婚相手と家族の真相

『虎に翼』モデル三淵嘉子の生涯と史実の差|再婚相手と家族の真相

『虎に翼』モデル三淵嘉子の生涯と史実の差|再婚相手と家族の真相に関する注目トピックをまとめてご紹介します。関心のある方は必見です。

ドラマで描かれた恋愛と結婚は、史実においてはさらに重い人生の決断を伴うものでした。

嘉子氏の最初の夫は、武藤家の書生をしていた和田芳夫氏です。1941(昭和16)年に結婚し、翌年に長男・芳盛(よしもり)氏が誕生します。しかし、芳夫氏は召集令状を受けて出征。戦地で胸部疾患を患い、上海の陸軍病院から引き揚げる途中の長崎で病没しました。嘉子氏は戦後の混乱期、幼い一人息子を抱えながら、母親・一家の大黒柱・そして司法官としての多重の重責を背負うことになります。

その後、1956(昭和31)年に41歳で再婚した相手が、初代最高裁判所長官・三淵忠彦氏の長男である三淵乾太郎判事でした。乾太郎氏もまた前妻を病気で亡くしており、当時4人の子ども(1男3女)を抱えていました。嘉子氏の連れ子である長男を含め、5人の子どもの継母・母となった嘉子氏の家庭内での奮闘は、決して平坦なものではありませんでした。

嘉子氏の手記や当時の関係者証言によると、思春期を迎えていた乾太郎氏の子どもたちとの間には、教育方針や価値観を巡る激しい衝突もあったと記録されています。仕事では「毅然とした裁判官」、家庭では「血の繋がらない子どもたちとの距離感に苦悩する一人の女性」という二面性は、彼女が遺した文章の端々から生々しく伝わってきます。しかし晩年、乾太郎氏が病に倒れた際には献身的に看病を続け、1984(昭和59)年に嘉子氏自身が骨肉腫で69年の生涯を閉じるまで、互いに深い敬意で結ばれた同志的夫婦であり続けました。

橋本 菜々子
著者

橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。