1936年12月12日未明、世界を震撼させたクーデターが勃発します。これが近代東アジア史の分水嶺となった西安事件の真相です。剿共作戦を督戦するため西安郊外の華清池に滞在していた蒋介石を、張学良と陝西軍派閥の楊虎城が率いる部隊が急襲し、身柄を拘束(兵諫)しました。
拘束直後の中国共産党首脳部は歓喜に沸き、毛沢東らは当初「蒋介石を人民裁判にかけて処刑すべし」と息巻いていました。しかし、ここで歴史の歯車を狂わせる巨大な外部圧力が加わります。ソビエト連邦の最高指導者ヨシフ・スターリンからの緊急電報でした。スターリンは、蒋介石を排除すれば中国国民党が親日派の汪兆銘らに牛耳られ、ソ連が東西から日本とナチス・ドイツに挟み撃ちにされるリスクを極度に恐れました。スターリンは張学良の行動を「日本の謀略に利する蛮行」と厳しく断じ、蒋介石を即時釈放して国共合作を結ぶよう共産党に厳命したのです。
急遽西安に派遣された周恩来は、卓越した調停能力を発揮し、軟禁下の蒋介石と直接交渉を行いました。蒋介石は書面での署名こそ拒否したものの、「内戦停止・一致抗日」「紅軍の国民革命軍への編入」を口頭で約束。これにより、泥沼の内戦に終止符が打たれ、第二次国共合作の理由となる抗日統一戦線が公式に成立しました。壊滅寸前だった共産党は合法的な地位と南京政府からの軍事予算を獲得し、奇跡的な息を吹き返したのです。