「邪馬台国はどこにあったのか」という問いは、日本の歴史学における最大の争点であり続けた。近畿説が箸墓古墳の発見で勢いづく一方で、九州説を支持する研究者たちも黙ってはいない。佐賀県の吉野ヶ里遺跡で進む最新の発掘調査からは、強固な防御壁を備えた巨大集落の全貌が明らかになりつつある。
ここで浮上するのが、単一の都だけではなく、複数の拠点がネットワークを形成していたという「連合国家説」だ。九州は外交の窓口であり、近畿は祭祀の中心地だったのではないか。2026年の学会では、この二大勢力が対立するのではなく、緩やかにつながっていたとする見方が急速に支持を集めている。