声の仕事で広く大衆に愛された彼女の根幹にあったのは、まぎれもなく舞台への情熱だった。戦後間もない1948年、創立メンバーであった名優・演出家の宇野重吉に師事し、劇団民藝に入団。そこから日本の新劇を牽引する長い旅が始まった。
宇野の厳しい指導のもとで磨かれたのは、「セリフを喋るな、生きろ」という舞台表現の神髄である。チェーホフやアーサー・ミラーといった海外戯曲から日本の現代劇まで、彼女が舞台上に立つと劇場の空気が一変した。戦後復興とともに歩んだ日本演劇界において、劇団民藝の看板女優として、そして後に代表として劇団を支え続けた歳月は、日本の舞台史そのものと言っても過言ではない。