この時計の歴史を紐解くには、第二次世界大戦末期にまで遡らなければならない。マンハッタン計画で原爆開発を主導したJ・ロバート・オッペンハイマーや、相対性理論で核エネルギーの扉を開いたアルバート・アインシュタイン。彼ら天才科学者たちが抱いた痛切な後悔と責任感が、すべての出発点だった。
1945年、研究の拠点であったシカゴ大学の科学者たちは、自らが解き放った恐怖の威力を前に立ち上がった。彼らが創刊した『原子力科学者会報』(Bulletin of the Atomic Scientists)こそが、終末時計の運営主体である。1947年に初めて誌面に掲載された時計の針は「残り7分」を指していた。
科学者たちの願いはシンプルでありながら重い。科学技術がもたらす破壊力を、科学者自らの手で市民や政治指導者に伝え、悲劇を未然に防ぐこと。彼らが遺した「科学的良心」の精神は、80年近くが経過した現在も、同会報の頭脳陣によって厳格に受け継がれている。