武田鉄矢の若い頃はイケメン?海援隊から金八先生までの激動史に関する基本知識を初心者にも親しみやすくまとめました。要点を確実におさえることができます。
武田鉄矢の激動に満ちた20代から40代への歩みを、当時の客観的な記録とデータに基づいて整理しました。いかに彼が挫折を繰り返しながら、独自の表現者としての地位を確立していったかが分かります。
年代・時期主要トピック・客観的データビジュアル・当時の世相編集部の見解・評価1972年〜1974年
(23〜25歳)海援隊デビュー
『母に捧げるバラード』ヒット
第25回NHK紅白歌合戦初出場長髪、ベルボトムジーンズ
反骨精神剥き出しのフォーク青年像彫りの深さとシャープな顔立ちが際立ち、荒々しいエネルギーに満ちていた黎明期。1975年〜1976年
(26〜27歳)レコード売上激減、契約解除危機
地方キャバレー回りなどの極貧下積み
節子夫人と同棲生活無精髭に伸び放題の髪
焦燥感と劣等感を抱えた表情挫折の底を味わった時期。この時期の苦汁と人間観察が後の俳優業の土台となる。1977年
(28歳)映画『幸福の黄色いハンカチ』公開
第1回日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞受賞
キネマ旬報賞 助演男優賞素朴で親しみやすい若者像
コミカルさと哀愁が同居する風貌映画界に鮮烈な印象を残し、役者としての天才的な間と哀愁が高く評価された転換点。1979年〜1980年
(30〜31歳)『3年B組金八先生』第1シリーズ
最高視聴率 39.9%
シングル『贈る言葉』100万枚超(ミリオン)金八ヘアー(長髪ナチュラルブロー)
トレードマークのスーツ姿「熱血と慈愛」の国民的アイコンへ昇華。音楽とドラマの双方で頂点を極める。1991年
(42歳)フジテレビ系『101回目のプロポーズ』
最終回視聴率 36.7%
流行語「僕は死にましぇん」実直な中年サラリーマン風貌
美女と野獣の構図を確立「泥臭い純愛」を演じきり、トレンディドラマ全盛期に空前の社会現象を巻き起こす。