上野恩賜公園の北側、東京藝術大学のキャンパスに隣接する敷地に日本芸術院会館が誕生したのは1958年(昭和33年)11月のことです。当時、日本芸術院は独自の拠点を求めており、その設計者として白羽の矢が立ったのが、自らも芸術院会員であった建築家・村野藤吾でした。
終戦からの復興期を経て、日本が独自の文化アイデンティティを再構築しようとしていた時代、村野は西洋由来の近代建築技術である鉄筋コンクリートを用いながら、日本古来の伝統美を昇華させた空間を目指しました。関係者の記録によると、村野は「単なる会議場ではなく、日本の最高峰の芸術家たちが集い、美を論じるにふさわしい格調と温もりを持たせたい」と語り、細部に至るまで自らのスケッチと手仕事の息吹を注ぎ込みました。
2006年(平成18年)には、戦後モダニズム建築としての高い完成度と歴史的価値が認められ、国の登録有形文化財に登録。現在に至るまで、文化庁が所管する芸術院の活動拠点として、その威容と美しさを静かに保ち続けています。