箱木家住宅が日本最古の民家たる理由|水没危機を越えた奇跡の遺構

箱木家住宅が日本最古の民家たる理由|水没危機を越えた奇跡の遺構

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箱木家住宅が今日われわれの目の前に姿をとどめている背景には、昭和の土木事業と文化財保護が真っ向から衝突した劇的なドラマが存在します。昭和40年代、播磨地域および神戸市への給水を支える大規模河川事業として呑吐ダムの建設計画が浮上。これにより、箱木家住宅が代々根を下ろしていた山田町衝原の集落の大部分がダム湖(衝原湖)の底に沈むことが決定したのです。

この危機に対し、文化庁、兵庫県、神戸市教育委員会が主導し、昭和52(1977)年から昭和54(1979)年にかけて約70メートル離れた現在の日照幸(ひよも)の高台へ移築する前代未聞の保存プロジェクトが断行されました。水没を目前に控えて実施された完全解体調査は、建築史学界を震撼させる大発見をもたらす契機となります。

当時、箱木家住宅は江戸時代中期の享保年間や文政年間など度重なる増改築を経ており、主屋と離れが連結された「喰違い喰違型」の複雑な間取りとなっていました。しかし、部材を一つひとつ解体していく過程で、江戸期の継ぎ木や壁の奥から、手斧(チョウナ)で荒々しく削られた室町時代中期の古部材が大量に出現したのです。

当時の解体調査記録によると、柱や梁に残された仕口(接合部)痕跡や古材の放射性炭素測定、その後の年輪年代測定法によって、主屋の骨組みはおよそ14世紀末から15世紀初頭(応永年間前後)に遡ることが決定づけられました。調査委員会は英断を下し、増築されていた離れを分離して江戸中期の姿として独立させ、主屋は部材の痕跡を忠実にたどって「室町時代の当初形式」へと復原。ダムの水没劇は、結果として民家の皮膚を一枚ずつ剥ぎ取り、中世の純粋な骨格を白日の下に晒す学術的奇跡へと昇華したのです。

山田 真由
著者

山田 真由

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