チンギス・ハン源義経同一人物説の真相|なぜ歴史学は完全否定したのか

チンギス・ハン源義経同一人物説の真相|なぜ歴史学は完全否定したのか

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歴史的な証拠が皆無であるにもかかわらず、なぜこの言説は巨大な社会現象へと成長したのでしょうか。その背景には、知識人の興味本位な言及と、近代日本が直面した対外情勢の変遷がありました。

江戸時代後期、出島に滞在したオランダ商館医師のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、大著『日本(NIPPON)』の中で「義経が蝦夷を経て大陸へ渡り、チンギス・ハンになったという説がある」と紹介しました。シーボルト自身は日本の知識人(新井白石の『蝦夷志』や林羅山らの言及)の異説を聞き書きして記述したに過ぎませんでしたが、これが「西洋の高名な学者が認めた」という権威付けとして後世に利用されることになります。

決定打となったのは、大正13年(1924年)に出版された小谷部全一郎の著書『成吉思汗ハ源義經也』です。牧師であり教育者でもあった小谷部は、現地調査と称して大陸を巡り、地名や紋章、伝説の類似を並べ立てた同書を刊行。これが当時の日本社会で空前の大ベストセラーを記録しました。数十万部とも言われる売れ行きを示し、当時の知識人層から一般大衆までを巻き込む大論争に発展したのです。

このブームを後押ししたのは、日露戦争後の満蒙進出という国策と、大衆のナショナリズムでした。「かつて日本人がユーラシア大陸の大帝国を統治していた」という筋立ては、満洲や内モンゴルへの進出を進める当時の軍部や政治勢力にとって、領土的野心を正当化するための極めて都合の良いプロパガンダとなったのです。大東亜共栄圏の思想的萌芽と、悲劇の武将への同情心が奇妙な形で結びついた結果でした。

中川 明日香
著者

中川 明日香

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。