木村氏の現在地を語る上で欠かせないのが、日本サッカー黎明期に打ち立てた不滅の金字塔です。ここで改めて木村和司経歴まとめを振り返り、彼がなぜこれほどまでにリスペクトされるのかを再確認します。
広島大河FC、明治大学を経て日産自動車サッカー部に加入した木村氏は、卓越したボールコントロールと広い視野で日本リーグを席巻。1983年、1988-89年、1989-90年と日産黄金期を牽引し、天皇杯やJSLの三冠獲得に決定的な役割を果たしました。1993年に開幕したJリーグでは木村和司横浜Fマリノスの初代キャプテンおよび背番号10としてチームを牽引し、プロ化初期の熱狂を最前線で作り出しました。
そして、サッカーファンの脳裏に永遠に焼き付いているのが木村和司フリーキック伝説です。1985年10月26日、国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で行われたメキシコW杯アジア最終予選・韓国代表戦。約40メートルの距離から放たれた直接フリーキックは、美しい放物線を描いて右隅のクロスバーを叩きながらネットに吸い込まれました。当時「日本には世界に通用するキッカーがいない」と言われていた定説を粉砕したこの一撃は、40年以上の歳月が流れた今なお、日本代表史上最高のFKとして語り継がれています。
これらの偉業が評価され、2020年には第16回木村和司殿堂入り(日本サッカー殿堂)が正式に決定。日本サッカー協会からも「日本サッカーの発展に決定的な足跡を残した最高峰のプレーヤー」として公認されています。