高幡山明王院金剛寺の縁起は、平安時代初期にまで遡ります。寺伝によると、清和天皇の勅願により慈覚大師円仁が東国鎮護の霊場として開創したと伝えられています。のちに建武2年(1335年)、山中より吹き荒れた大風によって堂宇が倒壊した際、時の別当であった快仙上人が現在の山麓へと移築・再建を果たしました。
同寺の格式を決定づけているのが、国の重要文化財に指定されている丈六不動三尊像です。総重量約3トン、平安時代後期の作とされる巨大な不動明王坐像と両脇侍(矜羯羅童子・制多迦童子)は、かつて数々の火災や戦乱を潜り抜け、現在も「奥殿」にて大切に護持されています。間近で対峙した参拝者が息をのむその威容は、千年前の仏師が込めた祈りの執念を今に伝えています。
江戸時代には徳川将軍家の庇護を受け、真言宗智山派の関東十一談林(仏教の学問所)の一つとして多くの学僧を輩出しました。単なる祈祷寺にとどまらず、仏教教学の最高峰としての知性を兼ね備えていた歴史が、現在の凛とした境内環境の礎となっています。