これほどまでに緻密かつ荘厳なオープニングを書き上げた作者とは、一体何者なのでしょうか。教科書では「作者未詳」とされる平家物語ですが、2020年代以降の国文学界でも再検証が進む有力な手がかりが存在します。
鎌倉時代末期に吉田兼好が著した随筆『徒然草』(第226段)には、きわめて具体的な証言が遺されています。
「後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉れありけるが…この行長入道、平家物語を作りて、生仏(しょうぶつ)といひける盲目に教へて語らせぬ」
ここに登場する信濃前司行長(しなののぜんじ ゆきなが/中山行長)は、朝廷の儒学者・文人として高い学識を持っていた貴族でした。しかし、朝廷の重要な儀礼において不手際を起こして失脚し、出家した人物です。自らもエリート街道から脱落し、権力の無常を骨の髄まで味わった行長が、自らの挫折と平家の滅亡を重ね合わせて執筆したという説は、作品全体を覆う無常観の深さと見事に符合します。
さらに重要なのは、彼が書いたテキストを、琵琶をかき鳴らしながら語り歩いた盲目の語り部「琵琶法師(当道座)」の存在です。活字本として読まれる「読み本(延慶本や源平盛衰記)」と、琵琶法師が耳で聞かせるためにブラッシュアップした「語り本(覚一本など)」の系統に分かれ、後者が現在の教科書テキストの決定版となりました。
SNSや知恵袋などでは時折、「平家物語は勝者である源氏が、自分たちの正当性を主張するために平家を悪者として書いたプロパガンダではないか」という疑問が散見されます。しかし、現場の文学研究者の共通見解は正反対です。平家物語の本質は、怨霊となって祟ることを恐れられた平家一門の怨霊を鎮めるための「鎮魂(レクイエム)」でした。滅び去った者たちの華やかな全盛期を讃え、その壮絶な最期を涙とともに語り継ぐことによって、荒ぶる御霊を慰める宗教的装置だったのです。