森田童子が徹底してサングラスとカーリーヘアというスタイルを崩さなかった理由には、単なるアーティストとしてのビジュアル戦略を超えた、切実な精神的背景が存在します。
彼女が音楽活動を開始した直接の契機は、1960年代末から1970年代初頭にかけての学生運動(全共闘運動)の挫折と、その渦中で自ら命を絶ったり社会から脱落していった友人たちへの鎮魂でした。デビュー曲「さよなら ぼくの ともだち」をはじめとする彼女の楽曲は、激動の時代に取り残された痛切な孤独を歌い上げています。当時のインタビューや手記において、森田童子は「現実の自分自身」として歌うのではなく、失われた時代と死者たちの声を代弁する「依り代(よりしろ)」としてステージに立っていたニュアンスを語っています。
この特異なスタンスにおいて、素顔を晒すことは個人的な日常性を持ち込むことを意味しました。素顔を隠し、記号化されたスタイルを纏うことで、聴き手は彼女の歌の中に「自分自身の傷や喪失感」を投影することが可能となりました。現実の生活者としての自分と、表現者としての森田童子の正体を心理的・物理的に完全に切り離すための防壁こそが、あの黒いサングラスだったのです。