Q1:1940年の東京オリンピックはなぜ「幻のオリンピック」と呼ばれるのですか?
A1:アジアおよび欧米以外の国として史上初めて開催権を獲得し、ポスター制作や会場設計、記念行事の準備が具体的に進んでいたにもかかわらず、本大会が一度も開催されないまま戦争の激化によって返上・中止となったためです。歴史上、準備がここまで進みながら消滅した例は極めて珍しく、このように称されています。
Q2:東京だけでなく札幌のオリンピックも中止になったのですか?
A2:はい、同時に返上されました。当時は同一国が同年に夏季・冬季の両大会を開催することが慣例となっており、北海道札幌市で「第5回札幌冬季オリンピック」が開催される予定でした。大倉山ジャンプ場などの競技施設整備が進められていましたが、東京の返上決定に伴い、札幌大会も同時に開催権を返上することとなりました。
Q3:東京が返上した後の代替地となったヘルシンキ大会はどうなりましたか?
A3:東京の返上を受けてフィンランドのヘルシンキが正式に代替開催地に指名されましたが、1939年11月にソ連がフィンランドに侵攻した「冬戦争」および第二次世界大戦の全面激化により、1940年4月にヘルシンキ大会も中止を余儀なくされました。結果として、1940年のオリンピックそのものが地球上から完全に消滅しました(ヘルシンキでの開催は1952年に実現)。
Q4:嘉納治五郎は五輪の返上をどのように受け止めていたのですか?
A4:嘉納自身は、五輪の返上決定を見届けることなく世を去っています。1938年3月のカイロIOC総会で開催堅持を死守したものの、その帰国途上の船内で1938年5月に病没しました。日本が正式に返上を決定したのは嘉納の死から約2カ月後の7月15日であり、自らの命を削って守ろうとした大会の瓦解を、彼は知る由もありませんでした。