世界的に知られる「忠犬ハチ公像 歴史」を紐解くと、私たちが現在目撃している姿は、実は2代目に当たるという見落とされがちな事実に直面します。最初の銅像が建立されたのは1934年(昭和9年)4月のことでした。彫刻家・安藤照の手によって制作され、除幕式にはなんとハチ公自身も招かれて最前列に座っていました。自らのブロンズ像の完成式典に本犬が出席したという事例は、世界の彫刻史上でも極めて異例の出来事です。
しかし、初代像を待ち受けていたのは残酷な時局でした。日中戦争から太平洋戦争へと突き進む日本において、金属資源の枯渇は深刻化します。1941年に公布された金属類回収令に基づき、日本中の銅像や寺院の鐘が軍需物資として没収されるなか、ハチ公像も例外ではありませんでした。「ハチ公像 初代 金属供出」の記録を追うと、愛犬家たちによる必死の存続嘆願も空しく、1944年に台座から撤去され、鉄道省の倉庫へ送られます。さらに驚くべきことに、初代像が最終的に溶解処分の運命をたどったのは、1945年8月14日・終戦前夜、静岡県浜松市の溶解所でした。終戦の玉音放送が流れるわずか数十時間前に、機関車の部品へと姿を変えていたのです。
平和の回復後、初代作者の安藤照は東京大空襲で命を落としていましたが、その志を継いだ息子の彫刻家・安藤士(たけし)によって、1948年8月に再建されたのが「ハチ公像 現在」の姿です。初代の堂々とした立ち姿に比べ、2代目ハチ公像はどこか腰を落とし、優しく主人の面影を待つような控えめなポーズへとリデザインされました。敗戦で打ちのめされた当時の人々の心を癒やし、渋谷の復興を象徴するモニュメントとして再出発した経緯があります。