鹿鳴館ドレスの真実|明治の女性が背負った条約改正と過酷な舞台裏

鹿鳴館ドレスの真実|明治の女性が背負った条約改正と過酷な舞台裏

鹿鳴館ドレスの真実|明治の女性が背負った条約改正と過酷な舞台裏の見逃せないポイントを徹底的にカバーしました。

鹿鳴館時代に導入された洋装は、ヴィクトリア朝後期に欧米で大流行していた「バッスルスタイル(Bustle style)」と呼ばれるドレスでした。この衣装は、上半身をコルセットで極限まで細く絞り込む一方、腰の後ろ部分に「バッスル(腰当てや骨組み)」を入れ、スカートの後方を大きく張り出させて豊かなドレープを作る特徴的なシルエットを持っています。

このバッスルドレスを身に纏うためには、現代の衣服とは比較にならない過酷なプロセスが必要でした。まず、女性たちは鯨の髭や鋼鉄の骨が入ったコルセットを胴体に巻き付け、侍女に背中の紐を力任せに引かせてウエストを50センチ前後にまで締め上げました。内臓は上下に圧迫され、横隔膜が固定されるため、胸郭の上部だけで浅く息をするしかありませんでした。

さらに、裾を引くヘビーなシルクやサテンの布地、何段ものフリル、裏地、腰のフレームを含めると、衣装全体の総重量は5キロから8キロに達しました。畳の上で帯を締めて重心を低く保つ所作に慣れていた日本人女性が、この重量級のドレスを着てハイヒールを履き、床を滑るようにワルツを踊ることは、まさに曲芸に近い身体的苦痛を伴っていたのです。

髪型もまた、劇的な変革を迫られました。鬢(びん)を油で固める伝統的な日本髪では洋装の首元や襟のラインと調和しないため、洋風のアップスタイルや、明治18年に提唱された「婦人束髪会」による束髪(そくはつ)が採用されました。油を使わずふんわりと結い上げるスタイルは衛生面での利点もありましたが、何日も日本髪を維持する習慣から毎日洗髪・整髪する生活への転換は、当時の女性たちに大きな戸惑いを与えました。

林 結菜
著者

林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。