教団の劇的な台頭と衰退を紐解く上で避けて通れないのが、歴代教祖の絶対的権力と、現在に至る後継者問題です。
教団の起源は、1916年に金田徳光が立教した徳光教に遡ります。これを引き継いだ初代教祖・御木徳一(みき とくはる)が1924年に「扶桑教ひもろぎ教」を興し、後に「ひとのみち教団」へと改称しました。戦前、昭和初期には百万人を超える信奉者を集めましたが、天皇主権下の国家神道と相容れない教理を展開したとして激しい宗教弾圧を受け、教団は解散に追い込まれました。
その灰燼の中から戦後、教団を蘇らせたのが二代教祖の御木徳近(みき とくちか)です。1946年、佐賀県鳥栖市で「パーフェクト リバティー教団」を設立し、翌年には大阪府富田林市に本拠を移転。「芸術生活」の提唱のもと、PL学園の設立、ゴルフ場や病院の建設、そしてPL花火の創始など、高度経済成長の波に乗って教団を巨大複合組織へと押し上げました。徳近は政財界とも太いパイプを築き、日本宗教界のフィクサーとしても絶大な影響力を誇りました。
しかし、1980年に徳近が逝去し、養子である三代教祖・御木貴日止(みき たかひと)が教皇職を継承した頃から、教団の拡大路線には翳りが見え始めます。貴日止は温厚で内省的な性格であったと伝えられ、昭和的な拡大政策から質的充実へと舵を切ろうと試みました。しかし、バブル崩壊と少子高齢化の直撃を受け、信者数は減少の一途を辿ります。
そして教団にとって最大の激震となったのが、2020年12月5日の御木貴日止の逝去でした。実子がおらず、教規上「教祖の霊統」を誰がどのように引き継ぐのかが明確に定められていなかったため、教団指導部は深刻な後継者不在に陥りました。代々、御木家の世襲によって最高指導者を擁立してきたPL教団において、直系後継者の不在は組織のアイデンティティを根底から揺るがす事態です。教区長会議を中心とした集団指導体制や教主代行による暫定運営が続けられていますが、信者の精神的支柱となるカリスマ指導者が存在しない状態が長期化し、組織の遠心力は急速に強まっています。