長年愛されたブランドが、なぜ販売エリアを半分以下に縮小せざるを得なかったのでしょうか。最大の引き金となったのは、構造的な売上低迷です。明治の開示資料や当時の報道によると、カールの売上高はピークを迎えた1990年代前半に約190億円を誇っていましたが、2016年度には約60億円と、実に3分の1程度にまで激減していました。
背景には、日本のスナック菓子市場における熾烈なシェア争いがありました。カルビーの「ポテトチップス」や「じゃがりこ」に代表されるポテト系スナックが圧倒的な主導権を握り、成形ポテトや濃厚フレーバーを売りにした新興勢力が次々と台頭しました。さらに、少子高齢化に伴うスナック菓子消費層の変容に加え、「歯にくっつきやすい」というパフ系コーンスナック特有の食感が、若年層の選択肢から徐々に外れていくという嗜好の変化も無視できませんでした。
決定打となったのが、食品業界を揺るがす物流コストの急激な上昇でした。カールはノンフライ工法による空気を含んだ独特のサクサク感が魅力ですが、輸送の観点からは極めて非効率な「容積勝ち(重量は軽いが容積を食う)」貨物です。1台の大型トラックに満載しても重量制限を大幅に下回り、輸送効率が極めて悪い商品特性を持っています。
当時、全国5箇所にあった製造子会社のうち、生産設備の老朽化も重なり、明治経営陣はブランド自体の全面撤退(完全終売)すら検討しました。しかし、「半世紀にわたり育てていただいた国民的ブランドを何とか存続させたい」という現場とファンの声を受け、グループ会社である四国明治松山工場(愛媛県松山市)への生産一本化という苦渋の決断が下されたのです。
なぜ東日本ではなく西日本が残されたのか。それは、松山工場からの海上・陸上輸送ネットワークの親和性に加え、何よりも「うすあじ」を中心とする西日本特有の根強い支持率が数字として証明されていたからです。昆布だしの効いた繊細な旨味文化を持つ関西・西日本エリアにおいて、カールのブランドロイヤルティは東日本のそれを大きく上回っていました。