北部のメーラトで決起した反乱兵たちが目指したのは、古都デリーだった。彼らが担ぎ上げた最高指導者は、すでに80歳を超えていたムガル帝国の第19代皇帝、バハードゥル・シャー2世である。
当時のムガル帝国は、デリー城内のみを辛うじて統治する名ばかりの存在に過ぎなかった。詩作を愛し、平穏な余生を望んでいた老皇帝は、押し寄せた兵士たちの熱気と大義の前に、反乱軍の総司令官となることを余儀なくされる。ヒンドゥーとイスラムの双方が「共通の君主」としてムガル皇帝を仰いだ瞬間だった。
だが、統率を欠いた寄せ集めの反乱軍は、イギリス軍の猛反撃に持ちこたえられなかった。デリー陥落後、皇子たちは目前で射殺され、皇帝自身はビルマ(現ミャンマー)のヤンゴンへと追放された。名門ムガル帝国はここに名実ともに滅亡し、亜大陸の歴史は決定的な転換点を迎える。