ウォルトのキャリア初期は、まさに泥沼の失敗の連続だった。1920年代前半、カンザスシティで立ち上げたアニメーションスタジオは資金繰りが破綻し、破産を余儀なくされた。さらに、ようやくヒットの兆しを見せた「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」の権利を、信じていた配給業者に欺かれて奪われ、主力アニメーターたちまでも引き抜かれるという壊滅的な裏切りに遭遇する。
「人生で直面したすべての逆境、トラブル、障害が、私を強くしてくれた。渦中にいるときは気づかないかもしれないが、ひどい打ちのめされ方こそが、人生で最高のできごとになる場合がある」
この言葉は、何もかもを失った失意の帰路、列車の中で噛み締めた痛烈な実感がもとになっている。多くの者が絶望し筆を置くような事態を、彼は己の創造力を次の次元へ引き上げるための試練と捉えた。現代のイノベーション空間においても、失敗を恐れて足がすくむ局面は少なくない。しかしウォルトにとって失敗とは、プロジェクトの終わりではなく、新たな革命の始まりを告げるシグナルに過ぎなかったのだ。