コンテストの歴史において最も興味深いパラドックスは、「最終選考でグランプリを逃した候補者」や「特別賞止まりだった候補者」の中に、後に時代を代表する主役へと上り詰めたスターが極めて多い点です。まさにジュノンボーイ落選からブレイクした有名人の代表格として語られるのが、菅田将暉と三浦翔平の存在です。
菅田将暉ジュノンボーイファイナリスト秘話は、今やエンタメ業界の伝説的なエピソードとなっています。2008年の第21回大会、当時大阪の高校1年生(15歳)だった本名・菅生大将は、母の勧めをきっかけに応募し、ファイナリスト12名に選出されました。最終選考会では特技としてダンスやアクロバットを披露したものの、上位入賞を果たすことはできず、結果は「無冠」に終わりました。しかし、最終審査の現場にいた大手芸能事務所トップコートのマネージャーが彼の放つ異質な眼光と感性に目を留め、即座にスカウト。翌年には平成仮面ライダーシリーズ最年少となる『仮面ライダーW』の主演に抜擢され、その後の快進撃へと繋がったのです。本人が後にラジオや自著で振り返った「賞を獲れなかった悔しさが、芝居への執念に火をつけた」という言葉は、無冠という挫折がもたらした最大の転機を物語っています。
一方、三浦翔平フォトジェニック賞経緯も実に数奇な運命を辿っています。2007年の第20回大会、本人の知らぬ間にエキストラの知人が応募書類を提出したことから選考が進み、最終選考会へ進出。グランプリの座は逃したものの、「フォトジェニック賞」と読者投票による「理想の恋人賞」のダブル受賞を果たしました。グランプリに付随する固定的なイメージや縛りを回避できたことで、事務所移籍やメディア戦略を柔軟に展開でき、翌2008年には人気ドラマ『ごくせん 第3シリーズ』のメイン生徒役に大抜擢。持ち前の華やかさと飾らないキャラクターで、瞬く間に同世代トップの知名度を獲得しました。
さらに見逃せないのが、ジュノンボーイ歴代審査員特別賞の経歴です。第6回(1993年)の加藤晴彦、第24回(2011年)の塩野瑛久、そして第31回(2018年)でDDセルフプロデュース賞を獲得しジェンダーレスな美しさで世間に衝撃を与えた井手上漠など、王道のイケメン枠には収まらない「独自のタレント性」を評価された者たちが、息の長い活躍を見せています。ジュノンボーイ出身俳優人気ランキングで上位に食い込む顔ぶれの多様性は、落選や特別賞というワンクッションが、かえって俳優としての個性を先鋭化させる触媒となった事実を証明しています。