学問的には否定されながらも、なぜこの伝説は大正から昭和初期にかけて熱狂的に支持され、令和の現在に至るまで人々の心を捉え続けるのでしょうか。そこには日本社会の集合的無意識と時代背景が深く関係しています。
第一に挙げられるのが、「判官贔屓(ほうがんびいき)」と呼ばれる日本独自の心理構造です。圧倒的な軍事的才能を持ちながら、兄・頼朝に疎まれて無念の死を遂げた悲劇の貴公子に対し、「死なずに生き延びていてほしい」「世界を制覇するほどの偉業を成し遂げてほしい」という民衆の願望投射が、不死伝説を補強し続けました。
第二に、当時の国際情勢とナショナリズムの高揚です。明治維新を経て日清・日露戦争を経験し、大陸進出を進めていた大日本帝国において、「モンゴル帝国の開祖が日本人であった」という言説は、国民の自尊心をくすぐり、大陸進出の正当化や親近感の醸成に極めて都合の良い物語として機能しました。
現代のSNSやネットコミュニティにおいても、「歴史の裏ルート」「隠された真相」として度々バズを生み出しますが、その根底にあるのは「定説を覆す大逆転劇を見たい」という人間の本質的なロマンへの渇望と言えます。