一家の暮らしは苛酷の一途をたどった。北海道から東北へ。定住する家を持たず、旅から旅へと移り変わる日々。幼い藤圭子は、盲目の母の手を引いて街頭に立ち、三味線の伴奏に合わせて歌を歌った。いわゆる門付である。
雪の降る寒い夜も、腹をすかせた日も、彼女は歌い続けた。客の足を止めなければ明日の飯にありつけない。そんな極限状態の日常が、彼女の歌声を磨き上げた。歌うことは娯楽ではなく、生きていくための切実な闘いだったのだ。
路上の冷気に晒されながら喉を枯らし、それでも絞り出すように発せられた声。それが、後に日本中を震撼させる独特のハスキーボイスへと変貌を遂げていく。演歌や歌謡曲といったジャンルの垣根を超え、聴く者の魂を揺さぶるリアルな切実さは、この幼少期の過酷な体験によって鍛え抜かれたものだった。