1988年、村西とおるは独立プロダクション「ダイヤモンド映像」を設立します。最盛期の同社は年商100億円規模に迫り、専用のクルーザーやロールスロイスを複数所有。当時の芸能界トップスターをも巻き込む勢いを見せ、まさにバブル経済の熱狂を体現する存在となりました。
しかし、栄華は長くは続きませんでした。1990年代初頭、彼が社運を賭けて挑んだのが「衛星放送事業(CS放送)」への進出でした。当時はまだ認可基準が厳格を極めていた通信衛星を利用した有料アダルト放送を目指し、数千万円規模の保証金や設備投資を立て続けに実行。しかし、郵政省(当時)からの許認可が下りず、莫大な投資回収の道が絶たれたことで、ダイヤモンド映像は1992年に事実上の倒産に追い込まれます。
残された負債総額は、利息を含めて約50億円。日々の金利返済だけで百万円単位が吹き飛ぶ極限状態のなか、彼は幾度となく取り立ての恐怖に晒されながらも、「死にたくなったら下を見ろ、俺がいる」という言葉を残し、自己破産の手続きと地道な返済活動を並行して生き延びました。この天文学的な借金劇の実態は、現代のビジネスリスク管理の観点からも極めて異例なケーススタディとされています。