後にDJ OZMAの「プロデューサー」である氣志團の綾小路翔は、メディアや自身の著書で当時の心境や裏側について度々言及している。彼らにとっては純粋なお祭り騒ぎとエンターテインメントの延長線上にあった試みだったが、NHKという公共放送の文脈と衝突したことで、予期せぬ化学反応を起こしてしまった。
出禁措置やバッシングという大きな代償を払った一方で、あの強烈なインパクトは「DJ OZMA」というポップアイコンの伝説を決定づけた。サブカルチャーの持つ毒と、マスメディアの持つ公然性の相克。あのパフォーマンスは、ポップミュージックが持つ反逆性のラストバーストだったのかもしれない。