近代化という「光」の一方で、植民地支配が内包していた「影」の歴史を直視することも不可欠です。統治初期の抗日運動に対しては警察・軍による苛烈な掃討作戦が展開され、多数の犠牲者を出しました。また、1930年に台湾中部で発生した先住民族タイヤル族(セデック族)による武装蜂起「霧社事件」では、総督府側が近代兵器を投入して鎮圧にあたり、先住民族政策の過酷さと民族的軋轢を浮き彫りにしました。
法制や身分制度における不平等も存在しました。行政の高官や主要な司法・警察ポストは長らく日本人が独占し、同一労働における給与格差や進学機会の不均衡など、明確な差別構造が維持されていました。
太平洋戦争期における皇民化運動では、伝統的な信仰儀礼や台湾語の使用が制限され、日本語学習と日本式氏名への改称が圧迫的に奨励されました。終戦までに約20万人以上の台湾出身者が軍人・軍属として戦場へ動員され、3万人以上が命を落とすという重い犠牲を強いられた歴史があります。現地の古老たちの手記には、「日本人になれと教え込まれながら、完全な日本人としては扱われない」という深いアイデンティティの葛藤が記されています。