百合子さまの若い頃の姿は、女子学習院を卒業された当時の記録写真からも見て取れるように、清廉で凛とした知性を漂わせる気品に満ちていました。しかし、華やかなロイヤルファミリーのイメージとは裏腹に、実際の宮家生活は想像を絶するご苦労の連続でした。
1945年の東京大空襲では、青山の三笠宮邸が全焼。百合子さまは幼い長女を抱きかかえ、防空壕を転々としながら猛火を逃れられました。戦後の混乱期には皇室財産が大幅に整理され、極度の財政難に直面します。百合子さまは使用人を大幅に減らし、自ら割烹着を着て台所に立ち、毎日の食材の買い出しや調理、子供たちの衣服の仕立て直しをこなされました。当時の家計簿には、卵1個、大根1本の値段まで几帳面な文字で記録されていたことが知られています。
一方で、公の活動においては恩賜財団母子愛育会総裁を1948年から60年以上にわたり務め、全国の母子保健活動の発展に情熱を傾けられました。地方巡幸の際には、形式的な視察にとどまらず、乳幼児を抱える母親や地域ボランティアの目線まで腰を落とし、優しく言葉をかけられるお姿が印象的でした。「形式にとらわれず、相手の心に寄り添う」という姿勢は、日本赤十字社の名誉副総裁としての活動でも一貫しており、現場で接した関係者からは「決して飾らず、常に相手への配慮に満ちた真の貴婦人」と絶賛されていました。