郷ひろみ『2億4千万の瞳』誕生秘話と今なお愛され続ける驚きの真相

郷ひろみ『2億4千万の瞳』誕生秘話と今なお愛され続ける驚きの真相

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郷ひろみにとって通算50枚目という大きな節目を飾るシングルとして、1984年2月25日に世に放たれたのが『2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-』でした。当時の郷ひろみは20代後半を迎え、トップアイドルから本格的な大人のエンターテイナーへと脱皮を図る極めて重要な転換期にありました。

制作陣として招聘されたのは、80年代ヒットチャートを席巻していた作詞家・売野雅勇と、哀愁を帯びたロックンロールで数々の名曲を生み出した作曲家・井上大佑、そして洗練された都会的サウンドを構築する編曲家・井上鑑という当代屈指の天才たちでした。関係者の証言によると、制作現場には「従来の歌謡曲の枠組みを完全に破壊し、世界水準のスピード感を持った和製ポップスを創り上げる」という並々ならぬ緊張感が漂っていたとされます。

当時、売野雅勇の手記やインタビューで明かされている通り、サビの頭に広告の決定フレーズである「エキゾチック・ジャパン」を配置しつつ、疾走するビートに一切の淀みなく言葉を乗せる作業は困難を極めました。井上大佑が提示したメロディは、それまでの歌謡曲の常識を覆すほど音域の跳躍が激しく、息継ぎの隙間すら極限まで削ぎ落とされたもの。この超高難度の楽曲に対し、郷ひろみは見事なボーカルワークと代名詞となる「ジャケットプレイ」を取り入れた圧巻のアクションで応え、楽曲に命を吹き込んだのです。

中村 さくら
著者

中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。