ネット上の言説を精査すると、乙武氏に対して極端な二極化が見られます。一方には「すべてを他人の介護に依存している我儘な人物」という悪意あるステレオタイプが存在し、もう一方にはかつての「何でも一人で克服する超人」という過剰な神格化が残存しています。しかし、これらは現場の実像を見誤った誤解に過ぎません。
誤解の根源にあるのは、1990年代後半から2000年代前半にかけて日本社会が彼に一方的に投影した「美談の偶像化」です。当時、メディアは彼を「障害を持ちながらも常に笑顔で前向きな理想の青年」として消費しました。しかし実像の乙武氏は、知的好奇心に溢れ、野心も人並みの欲望も持ち合わせた極めて人間臭いリアリストです。
2016年の騒動が日本中に与えた強烈なショックは、彼自身の不実さもさることながら、社会側が勝手に作り上げた「聖人君子という幻想」が音を立てて崩壊したことによる認知の歪み(リアクション・フォーメーション)でもありました。自立した大人が自らの意思で人生を選択し、その失敗の責任を自ら引き受けるという至極当たり前のプロセスが、「道徳の教科書の主人公」であったがゆえに過剰に処罰化された構造は見過ごせません。