当時、海軍にとって脚気は戦闘による負傷をはるかに凌駕する深刻な脅威でした。その危機が決定的となったのが、1882年(明治15年)の軍艦「龍驤(りゅうじょう)」の遠洋航海です。乗組員376名中、実に169名が脚気を発症し、25名が命を落とすという壊滅的な惨劇に見舞われたのです。寄港先で動けなくなる軍艦の姿は、国家防衛の根幹を揺るがす事態でした。
高木はこの惨劇を分析するにあたり、ある決定的な事実に着目します。「士官には脚気がほとんど発生せず、下士官や水兵ばかりが罹患している」「西洋諸国の軍艦では脚気の発症が見られない」。高木は日々の食事内容を徹底的に調査し、士官が自費で肉や魚を多く摂っていたのに対し、兵卒は支給される大量の白米ばかりを食べて副食を節約していた構造を突き止めました。
そこで高木は「炭素と窒素のバランス異常(タンパク質不足)」という仮説を立て、炭水化物偏重を改めるため、大麦を混ぜた「麦飯」と肉類の支給を柱とする大規模な兵食改革を海軍省へ直訴します。しかし、予算増額と伝統的な白米至上主義の壁は厚く、激しい抵抗に遭いました。高木は自らの職を賭し、明治天皇への上奏を経て予算をもぎ取ります。
こうして実施されたのが、日本医学史に残る1884年の練習艦「筑波」による航海実験です。龍驤とまったく同じ航路(品川を出航し、ハワイ、バルパライソ、ホノルルを経由して帰航)を、食事を改善した新処方で航行させました。結果は劇的でした。乗組員333名中、脚気の発症者はわずか16名、死亡者はゼロ。しかも発症した16名は、支給された麦飯や肉を「口に合わない」と拒否し、密かに白米ばかりを食べていた兵員だったことが判明したのです。現場の事実が、高木の仮説の正しさを証明した瞬間でした。