1970年の『第21回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、瞬く間に国民的スターの座へ駆け上がった藤圭子ですが、その後の藤圭子 経歴 現在へと至る歩みは決して平坦なものではありませんでした。喉のポリープ手術による声質の変化や電撃引退、渡米と、波乱に満ちた人生を歩むこととなります。
しかし、その天才的な音楽の血脈は、宇多田ヒカルの母親という形で世界的な開花を遂げます。1998年に宇多田ヒカルが『Automatic』でデビューした際、日本中がその卓越したグルーヴと唯一無二の歌声に驚愕しましたが、耳の肥えた昭和世代はそこに藤圭子の面影をはっきりと見出していました。母が持っていた圧倒的な声の陰影、言葉の響きを大切にするフレージングの鋭さは、形を変えてR&Bという現代のフォーマットに見事に昇華されていたのです。