そもそも、なぜ人々は単純に「やっぱり好き」「改めて良いと思った」と言わず、「一周回って好き」という迂回した表現を使いたがるのでしょうか。この心理の深層には、自身の審美眼や批評性を担保したいという防衛意識が働いています。
カルチャー消費において、定番のヒット曲や王道アイドル、大衆的なチェーン店をストレートに「好き」と公言することは、時に「ミーハー」「思考停止」と受け取られかねないという不安を生みます。そこで消費者は次のような心理的プロセスを辿ります。
第1段階として王道を好意的に受け入れ、第2段階でマニアックなサブカルチャーや批評的視点に触れて王道を「ダサい」「陳腐だ」と一度否定・倦怠します。そして第3段階として、多様な選択肢を経験した末に「多くの批評を経てもなお耐えうる王道の構造的強さ」を再発見するのです。
この第1から第3へのプロセスを経過したことを示す免罪符こそが「一周回って」というフレーズです。単なる初心者ではなく「批評的距離を置いた上でのハイコンテクストな選択である」という自己演出が含まれているからこそ、この表現は強い共感を呼び続けています。この複雑な認知の旅路を「一回転」と矮小化してしまうと、本人が苦心して獲得した再評価の文脈そのものが消失してしまうことになります。