長男の一人氏が誕生した1979年当時、沢田研二は『勝手にしやがれ』や『TOKIO』など次々とメガヒットを連発し、名実ともに男性ソロアーティストの頂点に君臨していた。一人氏の年齢は1979年3月生まれのため、2026年現在で47歳を迎えている。
しかし、幼少期の一人氏を取り巻く家庭環境は激変に見舞われる。1982年、沢田研二が映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で共演した新進気鋭の女優・田中裕子さんと恋に落ち、その関係は週刊誌やワイドショーで連日大々的に報じられることとなった。世間からの猛烈なバッシングの中、別居生活を経て1987年1月に伊藤エミさんとの協議離婚が成立する。
この離婚の際、世間を驚愕させたのが沢田研二が支払った総額約18億1,800万円にのぼる巨額の慰謝料・財産分与だった。世田谷区や目黒区に所有していた豪邸、別荘、預貯金など、当時の資産の大半を元妻のエミさんに譲渡。この金額は当時の芸能界史上最高額として記録され、現在も語り草となっている。愛の破綻に伴う代償としては破格であったが、背景には「幼い一人氏と元妻を一生金銭面で困らせない」という沢田研二なりの責任の取り方と、贖罪の決意が込められていたと報じられている。