社会現象の渦中にあった当時の広末涼子ですが、その華やかな表舞台の裏側には、若年タレントを取り巻く過酷なプレッシャーとメディア狂騒が存在していました。その象徴的な出来事が、1999年の早稲田大学教育学部への自己推薦入試による合格と進学です。
合格発表直後から週刊誌やワイドショーによる取材合戦は激化し、1999年6月の初登校日には、早稲田大学のキャンパス周辺に数百名を超える報道陣と警察官、そして上空には各局のヘリコプターが旋回する異様な光景が広がりました。学業と芸能活動の両立を図る一人の10代女性に対し、プライバシーを顧みない過熱報道が連日続いたのです。
後年の自著や特別番組のロングインタビューで、本人は当時の心境を「プライベートな時間が一切なく、人間関係を築くことすら許されない環境に精神的な限界を迎えていた」「芸能界を辞めたいと本気で思い詰めていた」と告白しています。連日の過密スケジュール、好奇の目に晒され続けるストレスから、あえて仕事をセーブするために体重を増やそうとした時期があったことも明かされています。一連の騒動は、平成のメディア産業が生み出したメガアイドル消費の歪みを示す決定的な事例となりました。