ネット上の掲示板やSNSでは、この言葉をめぐって今なお激しい論争が繰り広げられています。
「部活の顧問に『心がたるんでいるから怪我をするんだ』と理不尽に怒鳴られた」
「筋トレを始めたらメンタルが改善したから、ことわざは正しいと思う」
「マッチョな人間がSNSで攻撃的な発言をしているのを見ると、肉体と精神の健康は別物だと痛感する」
スポーツ医学や認知行動療法の臨床データは、この問題に明確な回答を与えています。運動が脳内の神経伝達物質(セロトニンやドーパミン)の分泌を促し、抑うつ気分の緩和や自己肯定感の向上に寄与することは紛れもない事実です。適度な運動習慣が精神衛生に好影響を及ぼすという観点では、俗説にも一定の生理学的根拠が存在します。
しかし、それは「筋肉をつければ高潔な人格が完成する」ことを決して意味しません。むしろ心理学では、極端な身体鍛錬に依存するあまり他者への共感性を失うケースや、体型の完璧さを強迫的に追い求める「筋肉不安症(筋悪液質)」のリスクが指摘されています。肉体を極限まで鍛え上げたアスリートや格闘家であっても、重度の精神的ストレスや不祥事に悩まされる事例は枚挙にいとまがありません。
「肉体が健全であれば精神も自動的に健全になる」という短絡的な思い込みは、病気や怪我、先天的・後天的な障害を抱える人々の精神までも「不健全」と断定してしまう重大な偏見を生みかねません。これこそが、原典の「祈るべき」を削り落としたことで生じた最大の現代的弊害です。