単なる弓の命中精度であれば、序盤に勝ち越していた伊周のほうが勝っていた可能性は十分にありました。ではなぜ、後半で完全に明暗が分かれたのでしょうか。当時の精神文化と政治状況を検証すると、2つの決定的な要因が見えてきます。
第一に、「言霊(ことだま)」に対する平安貴族の信仰心です。平安時代、公の場で発した誓いの言葉(誓約・うけい)は神仏に対する不可逆の宣誓を意味しました。道長が口にした「帝・后が我が家から立つならば」という台詞は、外れた瞬間に「我が家系は没落する」と自ら認めるに等しい、文字通りの命懸けの賭けでした。
第二に、「背負っているプレッシャーの質の違い」です。父・道隆の後ろ盾のもとで順風満帆にエリート街道を歩んでいた伊周に対し、兄たち(道隆・道兼)の影に隠れて自力で道を切り拓くしかなかった道長は、この一瞬の勝負に政治生命のすべてを懸けていました。伊周はその気迫に圧倒され、弓を引く手が震えてしまったのです。