創業1884年(明治17年)。聘珍樓は、現存する記録において「日本最古の中国料理店」として歴史の教科書にも匹敵する重みを誇ってきました。初代・張炎泉氏が横浜の地に開いた小さな料理店は、昭和から平成にかけて飛躍的な発展を遂げ、地上7階・地下1階、総席数1,000席を超える巨大殿堂へと拡大しました。
しかし、この「巨大さ」こそが時代の転換点において致命的な重荷へと変わります。本店を直撃した構造的リスクは、主に3点に集約されます。
第一に、横浜中華街における老舗閉店ラッシュとコロナ禍の打撃です。2020年春以降、行動制限によって企業の大型歓送迎会、法事、結婚披露宴、インバウンド観光客が完全に蒸発しました。中華街のなかでも、日常使いの町中華ではなく「ハレの日の超高級大型店」として客単価数万円のコース料理を中心に据えていた聘珍樓本店は、客数激減のダメージを最も苛烈に受けました。
第二に、巨大自社ビルにのしかかる莫大な維持管理費と固定資産税です。7階建ての大型施設は、空調や厨房設備の稼働・メンテナンスだけでも月数百万〜数千万円規模の維持コストを消費します。満席稼働を前提とした高度経済成長期〜バブル期のビジネスモデルが、パンデミックによる需要蒸発に耐えられるはずがありませんでした。
第三に、複雑な法人分離スキームの破綻です。聘珍樓グループは経営合理化のため、本店の運営を「株式会社パシフィック聘珍樓」、他店舗や外販・通販事業を「株式会社聘珍樓」などの別法人に切り分ける分社化を行っていました。この構造により、不採算の象徴となっていた本店運営会社だけを破産させ、ブランド本体と他事業を法的に切り離して生き残らせる選択が取られたのです。