メンバー5人とジャニー氏との間には、単なるタレントと事務所社長という枠を超えた、それぞれに固有の力学が存在していました。なかでもリーダーである大野智との関係は、芸能界の常識では測れない奇妙な均衡で成り立っていました。
Jr.時代からその圧倒的なダンスセンスとボーカル力を高く買われていた大野は、自ら前に出ることを極端に嫌う性格でした。京都での舞台公演を終え、幾度も「辞めさせてほしい」と直訴する大野に対し、ジャニー氏は引き止め工作を繰り返すのではなく、レコーディングの仮歌入れを依頼するなどして外堀を埋めていきました。大野が後年明かしたところによれば、デビュー後もなお「いつ辞めるか」を探り続けていた大野を、ジャニー氏はあえて強い規律で縛ることなく、独特の距離感を保ちながらその奔放な芸術肌を尊重し続けたといいます。この「縛らないことで繋ぎ止める」という逆説的な信頼関係が、嵐における大野の独特な精神的支柱としての立ち位置を決定づけました。
対照的に、プロデューサーとしての直系DNAを最も濃く受け継いだのが松本潤です。嵐のドームツアーやスタジアム公演における巨大なステージ機構、特に観客の頭上をガラス張りのステージが移動する「ムービングステージ」(松本が発案・開発に深く関与)は、日本のライブエンターテインメントに革命をもたらしました。松本は演出を手掛ける際、ジャニー氏から徹底的に叩き込まれた「客席の最後列、一番見えにくい場所にいる人間を絶対に取り残すな」「客を驚かせるための段取りに命を懸けろ」という現場主義を骨骨まで実践しました。客席を歩き回り、照明の角度一つ、音響の1デシベルのズレにまで妥協を許さない松本のストイックさは、まさにジャニー氏の憑依した姿そのものでした。