なぜ日本大学は、一握りの体育会系トップと利権ブローカーによってこれほど長期間にわたり私物化されてしまったのか。組織心理学および家族社会学の視点から分析すると、そこには「絶対的家長制」と「心理的バウンダリー(境界線)の完全喪失」という病理が横たわっています。
田中元理事長を中心とする組織構造は、相撲部出身者や特定の体育会系幹部を「擬似家族」の長男・次男として囲い込み、私的忠誠を尽くす者には利権とポストを、反抗する者には組織からの追放を与えるという、昭和的なパターナリズム(父権主義的支配)そのものでした。部下たちは「親分」に依存し、親分もまた取り巻きの忖度に依存する「共依存関係」が固定化。そこには、外部監査やコンプライアンスといった近代的なガバナンスが入り込む余地は皆無でした。
2026年現在の日本大学は、林真理子理事長体制のもとで日大事業部の解散・業務移管を完了させ、理事会の外部比率を大幅に引き上げるなど、制度上の改革を一通り整えました。しかし、制度を変えても「長いものに巻かれる」無責任な体質が現場レベルで消え去ったわけではありません。近年のアメフト部をめぐる対応の迷走が物語る通り、トップと現場の心理的距離、不都合な真実を上が握りつぶす事なかれ主義を根絶しない限り、第二の井ノ口、第二の敬天新聞事案が再発するリスクは常に潜んでいます。