國母和宏の名が日本全国のお茶の間に強烈に刻み込まれた契機は、2010年2月のバンクーバー冬季五輪でした。日本代表公式スーツを腰まで下げて着崩し、ネクタイを緩め、シャツの裾を出し、鼻ピアスにドレッドヘアというスタイルで成田空港を出国した姿がメディアで大々的に報じられました。
当時の報道各社や国会にまで抗議が寄せられる事態へと発展し、現地カナダでの緊急記者会見において発せられた「チッ、うっせぇな」「反省してま〜す」という言葉と舌打ちが火に油を注ぎ、開会式への参加自粛処分という異例の事態に追い込まれました。
しかし、この騒動の本質を読み解くには、当時のスノーボードという競技が内包していた二面性を理解する必要があります。
日本のマスメディアや日本オリンピック委員会(JOC)が求めたのは「日の丸を背負う品行方正なスポーツ選手」という画一的なアスリート像でした。これに対し、國母が幼少期から身を投じていた米国のスノーボードシーンは、スケートボードやヒップホップと地続きの「自由と反骨精神(カウンターカルチャー)」を根幹とするカルチャーです。彼にとって腰パンや独自の着こなしは、挑発や不真面目さの表れではなく、自らのアイデンティティとカルチャーへの忠誠心そのものでした。
猛烈な逆風と極限のプレッシャーのなかで行われた五輪本番のハーフパイプ競技において、國母は臆することなく世界最高難度のルーティンに挑み、男子ハーフパイプ8位入賞という堂々たる結果を残しました。競技終了後、過熱取材を続けた日本の報道陣に深々と一礼した姿は、彼なりの矜持と責任の果たし方として今も語り継がれています。