比叡山焼き討ちの真相と織田信長の動機|発掘調査で覆る通説

比叡山焼き討ちの真相と織田信長の動機|発掘調査で覆る通説

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織田信長が比叡山への武力行使に踏み切った最大の契機は、元亀元年(1570年)に勃発した「志賀の陣」にあります。姉川の戦いで敗走した浅井長政・朝倉義景連合軍は、京都への補給線を断ち信長を挟撃すべく、比叡山へと逃げ込みました。

当時の比叡山延暦寺は単なる祈りの場ではなく、広大な荘園領地と独自の関所、数千規模の強力な僧兵軍団を抱える独立した巨大権門勢力でした。信長は延暦寺に対し、「織田方に味方するか、さもなくば浅井・朝倉勢を追い出して中立を保て。もし敵を匿い続けるならば根本中堂をはじめ全山を焼き払う」という明確な最後通牒を突きつけています。

しかし、延暦寺側は信長からの莫大な金銭による懐柔や警告を完全に黙殺し、浅井・朝倉軍への兵糧補給や軍事支援を継続しました。背後に室町幕府15代将軍・足利義昭を筆頭とする「信長包囲網」が形成されつつあった危機的状況において、喉元に刃を突きつけられた信長にとって、比叡山の無力化は天下統一どころか織田家の存亡を懸けた軍事上の絶対的命令だったのです。

吉田 誠
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吉田 誠

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