エレナ・チャウシェスク(旧姓ペトレスク)は1916年、ワラキア地方の貧しい農家に生まれました。学校教育を途中で挫折した彼女は首都ブカレストへ出て繊維工場の工員となりますが、そこで後の終身大統領となるニコラエ・チャウシェスクと出会い、共産主義運動に身を投じることになります。
ニコラエが党のトップに登りつめると、エレナは次第に政治の表舞台へと進出。1970年代以降は「内政の最高意思決定者」として君臨し、1980年には閣僚評議会第一副議長(事実上の副首相)に就任しました。当時のルーマニア国営メディアは彼女を「類まれなる科学者」「慈愛に満ちた国の母」と讃え上げましたが、その実態は夫以上の冷酷さと猜疑心で側近や国民を支配する独裁者そのものでした。
特に民衆を苦しめたのが、国家の労働力確保を目的とした「人口増加政策」です。1966年に制定された政令770号により、避妊と人工妊娠中絶が原則禁止され、女性たちには過酷な出産ノルマが課されました。その結果、貧困から養育を放棄された無数の子どもたちが劣悪な孤児院に溢れかえり、後に「チャウシェスクの落とし子」と呼ばれる深刻な人権侵害を生み出す元凶となったのです。