山谷は今どうなった?元ドヤ街の治安と2026年現在の変貌を徹底取材

山谷は今どうなった?元ドヤ街の治安と2026年現在の変貌を徹底取材

山谷は今どうなった?元ドヤ街の治安と2026年現在の変貌を徹底取材について見逃せない 理由を分かりやすい構成で解説いたします。

山谷がなぜこれほど特異な歴史を歩むことになったのか。その起源は江戸時代の日光街道沿いに設置された木賃宿(安宿)街にまで遡ります。近隣には吉原遊廓や小塚原刑場が配置され、江戸の都市機能を支える周縁部としての役割を担わされていました。

戦後、高度経済成長期を迎えると、東京オリンピック(1964年)関連の建設ラッシュを支えるため、全国から職を求める単身男性が殺到します。多い時期には1万5,000人以上の日雇い労働者が、1畳から3畳ほどの「簡易宿泊所(通称:ドヤ)」にひしめき合っていました。

労働環境の劣悪さ、手配師(暴力団関係者)による過酷な中間搾取、警察の取り締まりに対する不満が頂点に達したことで勃発したのが「山谷暴動の歴史と経緯」です。1960年代初頭から1990年までに大小数十回に及ぶ騒乱が発生し、警察署の包囲や車両への放火、投石といった激しい衝突が新聞やテレビを賑わせました。

しかし、1990年代初頭のバブル崩壊を契機に建設需要は激減。求人が途絶えた労働者たちは急速に高齢化し、ホームレス化や孤独死が社会問題化しました。これを受け、行政とNPO法人は労働者の自立支援から「居宅保護(アパートへの移行推進)」と生活保護受給の定着へと方針を転換。かつて暴動の舞台となった街は、急速に福祉と高齢化の街へと変貌を遂げていきました。

井上 凛
著者

井上 凛

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。